自分自身で歩く・2
「自由を、しからずんば死を与えよ」
このセリフは、確かアメリカ建国の精神だっと思います。
今日はまた「へそ曲がり」的なことを書こうかと・・・笑。
今までの価値観を否定するのではなく、
冷静な目を持って観察することが肝要かと。
その上で時代にそぐわなくなってきたと思えば、修正して行けばいいと思うのです。
「結婚」について、これはあくまで僕の考えだと言うことをご理解ください。
「結婚」が自由で無制限で永遠な愛につながるなら、それは究極的な愛。
けれども、
今の僕達は「愛」を約束かつ保証のレベルにまで引き下げてしまっていると思うのです。
今の結婚(制度=Institution)は、
今の状態を永遠であることを保証しようとする努力。
(Institution = 施設とも解釈でき、それも窮屈な施設に入ったとも解釈できるのです。)
第一に、安全を保証すると云う手段として使う。
第二に、その保証が永遠に続きそうもないと、相手を罰する手段として使う。
多分、現在の結婚とは、お互いが抱くような愛情を決して他人には持たないと
保証しようとするものであること。
約束・保証(社会的な)をすると義務が生じてしまう、
義務が生じると・・・・。
今アメリカの離婚率が約50%、日本は言うと約30〜35%だそうです。
このことからも、この制度が疲弊してきているのだと思うのです。
例え離婚をしていなくとも、結婚に絶望し、不幸でいるのかも知れない。
「結ばれる喜び」がやがて、
苦渋と怒りと後悔になっているのが現実ではないかと思うのです。
そういった方々ばかりではないとは思います。
何かの本で読んだのですが、
「愛」には何も必要ない。
誰かへの愛が要求が伴うのであれば、それは愛ではない・・・と。
じゃ、どうすれば・・・??
あなたの内なる声・直感(Inspiration)を信じればいいと思うのです。
おそらくそれが答えであり、それが自身であると思うのです。
自身の足で自身の道を歩くのか、
その昔、誰かが考えた道を歩くのか・・・。