日本人が日本人たる所以は日本語であるからに他ならない・・・と思うのです。
初めに断っておきますが、僕は「右」でも「左」でもありません。
あくまで「リベラリスト」・・・だと思っています。
どう考えても、幼少時の英語教育などもってのほか、言語道断。
中学・高校での英語教育が十分でないから、大人になっても喋れないからと言った理由で
それを低学年にスライドさせればいいといった、また早ければ早いほどいいなどと、
なぜそのような短絡的な思考になるのかが理解できない。
またそれを金儲けの道具にすることは、
日本人であることのアィデンティティを金をもらって捨てさせるようなものだ。
そうであるならば、日本の公用語を英語にすればいいだけだ、フィリピンのように。
テクニカルなことは、もうAIが代行してくれる時代。
つい先日15年海外に駐在していた友人にあった。
彼は学生の頃、英語のエの字もできなかった。(別に馬鹿にしているのではない)
その彼が15年もどうやって海外で仕事ができたのだろう。
彼曰く、「コミュニケーションは言語ではない」とはっきり言っていた。
今でもそれほど流暢ではないが、とても印象深いし興味深い。
僕が海外に住んでいた時に、両親が日本人、お子さんが二人(男子)の家庭があった。
彼らはその地で生まれ高校生だったけれど、普段の会話は日本語と英語のチャンポン。
興奮してくると英語になる。
なんで英語になるの? と聞くと、英語の方が簡単だから・・・。
英語を勉強するなとは言ってはいない、当然勉強する権利はあるはず。
ただ、それができないからと言って横断的に全員に課す必要がある?
まして日本語もまともにできない幼児のうちに。
「思考は言葉」であるからだ。